「ニュー・スクエア」の出現とアナログシンセによる救済

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「ニュー・スクエア」の出現とアナログシンセによる救済

現在「ゆらぎ」がもたらす価値や美意識についていろいろと考えています。SNSやブログで書き綴るには複雑すぎる話題なので、もうこれは本にするしかないと思っています。メモとして書いた考察を少し公開します。

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グローバリズムは資本の流動性を加速させると同時に、各国での格差を拡大させ、国と国の間の「南北格差」も拡大します。格差は経済強者と弱者、情報強者と弱者に始まり教育機会の強者と弱者、想像力や行動力の格差、雇用機会の格差や健康の格差、メンタルヘルスの格差にいたるまで、それぞれの次元で顕著に露出します。

グローバリズムがこれまでの社会のセーフティーネットを腐食し、個々人の立場がリスクにさらされるサイクルをごく簡単な箇条書きでスケッチしてみます。

グローバリズムは各国でお金の流れを加速させるために、以下のように循環する。

(1)資産の証券化と流動化

(2)株主利益を最大化

(3)そのための規制緩和(抵抗する国の政府は国際市場から罰させるので、いやとは言えない)

(4)規制する側の政治や公益性による抑止を解除

(5)その結果、資本の動きが加速

(6)投機やマネーゲーム、ホット・マネーなども加速

(7)利益を生むサイクルの見立てが短縮→長期的な目標設定が困難になる

(8)倫理観が薄れ、ギャンブルのようなリスク物件や資源開発への大量投機。サブプライムやシェール・ガスなど。

(9)社会的な弱者への安全網がなくなる。また社会を取り巻く自然界の環境も総じて不安定化する。

(10)と同時に、既得権を握った者への富と権力・機会が集中する。

(11)格差の加速的な拡大。貧困層がすでに大きな国ではますます貧困・治安の乱れ・絶望が広がる。

(12)弱者はチャンスをつかもうとして短絡した行動を重ねる傾向に

(13)もしくは、最初からチャンスが訪れない。ルールが不公平だから。そこで無力感を感じ、自己評価も下がる

(14)その自己評価を回復しようとしてファスト・フードに始まる瞬間的な満足を追及するようになる

(15)ものごとをじっくり考える余裕がなくなり、自分を守ってくれるような「正論」に飛びつく。だが、善悪を断定する「正論」は自分という個人に深い満足を与えてはくれない

(15)お肌が荒れて睡眠パターンが乱れ、血液ドロドロ

という「劇画調」の現象が世界的に起きているのではないか、と考えています。これは世界が「デジタル化」し、その新たなグローバリズムの「グリッド」に順応しようとし個々人が焦りと疲弊と無力感に蝕まれていくという循環でもあります。

そこで、「ゆらぎ」の価値観(とりわけアナログシンセに見られる世界観)が、かなり奥深くに癒しを届けられると思います。「0か1か」で振り切れるデジタルな風潮に対して、豊かなグラデーションやゆらぎ(本来の意味での)ゆとりをもたらしてくれるからです。「1/f」ゆらぎもありますし、手作業で作った電子回路の重さが心地よさと心の平穏を与えてくれるのではないかと考えています。和紙を通して明かりが届けられる「ぼんぼり」のようなイメージ。

また、オーガニックの価値観も癒しと生命力の強化を提供してくれます。精神的な土台がしっかりと大地に根ざしている人ほど、遠く宇宙へとぶっ飛ぶことができます。根が弱いと、そんな冒険には耐えられません。オーガニックな芯を持った人が、必然的にグローバリズムの厳しい峻別の中では強くなっていく、という現象も起こるでしょう。つまり、利己主義ではなく成熟した個人主義を自分の中で育て、他人にも寛容で多様性を認め、自分の利益と社会全体や地球環境の利益をバランスさせつつ、素早く動ける人が21世紀の強者になるのだと思います。与える者こそがサステイナブルな強者になるとのヴィジョンです。

反対に「バブル」「消費者」「守られた雇用」の幻想を抱いている人、つまり受身な価値観のまま「ひたすらがんばる」という行動形態を手放せない人は、子供にマクドナルドを食べさせつつ、「ドンキホーテ」の無限回廊をさまよい歩くことに。ルーザーの行動パターンです。日本では経済弱者・社会弱者が「クレーマー」として振る舞うことで、瞬間的に自己評価を上げられますが、それは同時に病理を深め、自分の力でものごとを達成できなくさせる麻薬のような生活習慣となります。こういった、どんどんと心身が弱体化し、感受性も安全パイへと閉じこめられた、きわめてデジタルなグリッドに沿って生きている人を、「ニュー・スクエア」と命名しました。新たに出現しつつある「きまじめな弱者」たちを指します。「T-スクエア」みたいで、やばいネーミングかも。ちょっと香山リカさんも意識しています。

あくまで「劇画」の範囲にとどまった考えではありますが、この「きまじめな弱者」たちは周りの力によって否応なく立場が弱くなるだけではなく、自ら自分を弱い立場に閉じ込める振る舞いをするのではないか、と推理しています。正しい結論を探し求め、それに飛びつこうとする焦りにかられるのは、リスクを避けたいという思いの現れでもあります。その「切れやすい」言動は、グローバリズムが歓迎する「戦略を持ったリスク行動」ではありません。むしろ終身雇用が当たり前だった時代の「面倒はいやだ」「間違いを犯したくない」という官僚的な価値観の産物に見えます。かつては政府やマスコミ、広告代理店の旗振りの下、集団の「群舞」のような消費ブームや思想ブームが次々と社会に活力と目標を設定してくれました。しかし21世紀になると、いくら待っても正しい答えがやって来ない。過去にはっきりとしていた「善と悪」さえ訪れない。ゴドーは、来ない。かつての「がんばれる」精神的な支柱が世界中で失われつつあります。しかし一方で、個々人が覚醒し、己を襲う状況の中に遊びとゆらぎを見いだせれば、次の世界への扉がすぐ近くに見つかる。そう思っています。葛藤の中へとリラックスし、エンジョイメントを見出すこと。それが混沌の中のバランス、真の秩序なのかも。


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